2009年9月20日日曜日

『鹿下絵和歌巻』

本阿弥光悦と俵屋宗達のコラボレーション作品『鹿下絵和歌巻』。現在、神戸市立博物館で開催されている「シアトル美術館展」で、この作品を見る機会を得た。この作品はシアトル美術館のウェブサイトでも見ることができる。≫Seattle Art Museum : Dear Scroll なおウェッブよりも実物の方が作品のリズム感が直に感じられ本当にすばらしい。ここでは、こういうものがあるということだけ伝えられれば、僕として述べたいことはもう十分言ったという感じなのだが、以下にその他のことについても少し記しておこう。

シアトル美術館とは

シアトル美術館は1933年にリチャード・フラーとその母によって設立された。それ以前の1919年にフラー一家はアジア旅行への途上、日本の日光に立ち寄った。ここでリチャードが虫垂炎になる。いくつかの理由で旅館の中で手術を行った。ところが、麻酔か何かの薬が腐っていて病状は悪化し、家族共々3ヶ月間日光で過ごすことになる。その間に、一家は日本の工芸品などを収集し、日本美術をよく知ることになったらしい。 その後、1948年にシャーマン・リーという人物を副館長に迎える。戦後GHQで日本での文化財の調査と振興(民主化)を担当した人だ。例えば正倉院展などを開始させた人物でもある。そのように日本文化をよく知るリーが副館長となり、とても質の高い日本美術をシアトル美術館に数多くもたらしたわけである。 なお、シアトル美術館の現館長(名誉館長)はミミ・ガードナー・ゲイツで、あのマイクロソフトの創始者で元会長ビル・ゲイツの母親である(ゲイツの父親の再婚の奥さんなのでいわゆる義母)。そのような関係から、上記の『鹿下絵和歌巻』のデジタル化とウェッブ上での公開は、マイクロソフト社の教育チームの無償協力を得て実現したらしい。これもまたすごいことである。

入手の経緯とデジタル化

フラーが入手する前は、日本の収集家の益田孝氏が所有していた。益田氏は茶人で、各地で茶会を開くときにこれをお披露目するために、22メートルあるこの作品を二分していた。その後、一家の没落(?)でコレクションを売却に出したらしい。数度に渡る売却があり、最終的にこれが売りに出されていることを知ったシャーマン・リーがフラーに知らせて、その後半部分を購入した。日本に残った前半部分は、分断され、切り売りされたため、散在することになってしまった。フラーが半分を丸ごと購入したことは、外国の手に渡ってしまったとはいえ、日本文化の遺産にとっては幸運なことだったのかも知れない。シアトル美術館は、日本にある前半部分のほとんどの所有者を突き止めた上で借り受け、所蔵の後半部分と合わせてデジタル化し、画像として公開しているのだ。   僕には絵を評価できるような資格はないだろうから、作品自体については書くことはない。ただ、金と銀と墨の淡い色調の醸し出す雰囲気や、画面の外側への広がりも感じさせる巧みなリズム感のある宗達の構成手法など絵のすごさ。さらに、光悦の書になる和歌には「月」の句が多く、画面に月はなくても、月を鹿たちが見つめていたり、月が鹿たちを照らしていたりといった情景を想像させられる。全ては光悦のアートディレクションのすごさだろうと感じる。

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